ようやく見つけた夢は「日本の動物の殺処分を減らしたい」だった


20/6/12仙台キャバクラ派遣のアシスト、野村さんと出会ってから正確に思い出せないほど時が経った。わたしはそもそも、しがない高校生活を送って、友達もあまりできずに高校を卒業した。高校を卒業する前に、ようやく見つけた夢は「日本の動物の殺処分を減らしたい」だった。今考えれば、夢を持てたこと、夢があったことがとても素晴らしいことだったなと思う。今思えば現実味のない夢だったけど、当時の高校生だったわたしはそれは夢でもあり、それを現実にしたいという強い思いを持っていた。わたしには兄ががいて、2人兄弟でわたしは末っ子だった。兄はどちらかというと親に迷惑をかけてばかりの人間だった。不良だったわけではなく、わたしが高校一年生の時、兄は高校三年生で当時付き合っていた彼女を妊娠させてしまって、わたしの親と兄の彼女の親がとても揉めたことがあった。不良という意味で親に迷惑をかけていたのではなかった。むしろ不良の方がタチがいい。学生同士で解決できる話ではなく、親と子で解決できる話でもなく、親同士を巻き込む話だった。わたしは当時から人の話にはあまり首を突っ込まない方がいいという考えだったので、兄が彼女を妊娠させてしまった話はお母さんから聞いたけど、特に首を突っ込まず、空気を読んでただ普通に生活していた。仙台キャバクラ派遣では兄を責めることもしなかったし、お母さんに文句を言ったり責めたりすることはなかった。その当時は首を突っ込まない方がいいというわたしの考えももちろんあったが、むしろ何も首を突っ込めないほど、わたしの家庭は緊迫状態だった。最初に聞いた話では相手の親も、妊娠した子供を降ろすことは考えていないという話だった。だから、兄も彼女も結婚するという方向で話は進んでいた。わたしの母はとても真面目で、自分の子供が高校生になり、彼女ができて妊娠させてしまったという話の時点で、とても頭を悩ませていたし気が気じゃない状態だった。降ろさないという話になったから、まだわたしの母も少し冷静でいた。だけど兄の彼女が、妊娠が発覚してからしばらく学校を休んでいて久しぶりに学校に行ったら、兄の友達が何も知らずに「なんか最近学校休んでたけど大丈夫なの?」と声をかけたらしい。それが兄の彼女は 、妊娠したことを学校の人たちに言いふらされたと捉えたらしく、次の日に兄の彼女の母親から、わたしのお母さんに「子供は降ろす。もう一切関わらないで欲しい」と電話がきた。兄は決して学校の友達に妊娠したことを話したわけではない。仙台キャバクラ派遣のアシストの文章の続きになる。そんな小さな出来事で相手側は勘違いをしてわたしのお母さんに文句を言い、子供を降ろすお金などを請求してきた。わたしは今でもよくわからないけれど妊娠してしまった女性側の方が、妊娠させてしまった男性側よりも立場が上だったようで、「降ろす」と言われた以上それに従わなければいけなかったらしい。結局円満にはいかず、お互いに嫌な気持ちになりながら子供を降ろしてしまった。兄とその彼女も、それ以降同じ学校には通っていたけれど関わらなくなったらしい。わたしのお母さんは、それ以降しばらく覇気がなくなってわたしもとても心配した。当時のことはわたしも、デリケートすぎる話だったし兄をかばうこともできなかったし、お母さんをうまくかばうこともできなかった。当時高校一年生だったわたしが、どんなにいい言葉を言ったとしても大人には響かない言葉だろうと思っていたし、何か言ったとしても「この間まで中学生だったくせに、高校一年生が何を言ってるんだ」と思われるだろうとわたしも思って、何も言えなかった。ある意味立場をわきまえて、わたしは弱っている状態の両親にはこれ以上弱ってほしくないし、わたしは迷惑をかけずに生きていこうと思った。だけど、人間とは簡単なもので時間が経てば傷が癒える。時間が、悪いことも忘れさせてくれる。しばらく経てば、兄も楽しい話をしてくるようになったし、進級してからは新しい彼女もできていた。だからわたしもお母さんの精神状態に気をつかうことも徐々になくなっていって普通の家族に戻っていった。わたしは今ではもう立派な22歳で大人になった。高校生の頃のことを思い返すこともほとんどなかった。思い返したとしても、学校での出来事や友達関係のことしか思い出すことがなかった。だけど今、仕事のために文章を作るために思い出話を書こうと思い色々と思い出してみたら、わたしの人生にも色々なことがあったなと思い出してきた。
わたしは何も修羅場を乗り越えてきたわけではなく、本当に経験値がないなと思っていたけれどしっかりと思い返してみたら、人があまり経験しないような経験をしてきていたことに気づいたというか思い出した。簡単に思い出せないということは、わたしの人生の中でそこまで大きな出来事ではなかったのかなとも思うけれど、思い返せばわたしの今の人格が作り上げられたのもこれまでの経験からだなと思った。