自分の昔の話を人に話すことはほとんどなかった


今回仙台キャバクラ派遣のアシストの仕事の一環で、文章をたくさん書くことになったので過去を色々振り返ってみることにした。誰に話しても、誰も興味も持たない話だからわたしは自分の昔の話を人に話すことはほとんどなかった。笑い話になるような過去の話は人にしても、本当に黒い過去や嫌な経験というものは人に話すこともない。しかも明細に細かく話すなんて、誰が聞き役になったとしても飽きてしまう。だけど今回、いい機会なのでここに書いていこうと思う。まずわたしは、生まれた時から兄がいた。まあ兄というのはもちろん生まれた時からいるものだ。でもわたしには本来、姉もいた。「まなみ」という姉がいた。会ったことはない。兄も会ったことがない。なぜなら、生まれてすぐに亡くなってしまったからだ。わたしはその話をお母さんから初めて聞いたのはいつだか思い出せないほど昔で、その話は物心がついた時から知っていた。「へ?、お姉ちゃん欲しかったなあ」と思うぐらいだった。だけど、大人になった今その話を考えてみると相当辛い経験をわたしの両親はしたんだなあと思ったし、兄が生まれて元気に育ったこと、2人目のわたしが生まれたこと、相当嬉しかっただろうなと思った。産むというのはとても過酷なことであり、幸せなことであると思う。体内で10ヶ月かけて赤ちゃんは育つ、「元気に生まれてきてね」と毎日声をかけていただろう。10ヶ月毎日毎日、生まれてくる日のことを楽しみに思っていただろう。何ヶ月か経ったら性別もわかってくる。女の子だと判明した時は周りの友達や両親も、「きっとかわいい女の子が生まれてくるね?」なんて話してただろう。安定期に入ってくれば、少し早い出産祝いをくれる人たちもいる。赤ちゃん用の服や靴下、そんなものが大体定番だ。もちろんわたしのお母さんもお父さんも、おもちゃやオムツ、ベビーベッドなど必要なものはすべて揃えていただろう。幸せに満ち溢れていただろう。お母さんは大変な思いをして子供を産み、すぐに子供を亡くしたなんて、想像するだけで泣けてくるほど辛い経験だ。幸せに思えてたことが、全て辛いものに変わる。子供を産むということは母子ともに死亡するリスクがそれなりにあるし、産後お母さんの体はとても弱る。だから産後にしっかりと体のケアをしたり休めないと、体が壊れてしまう。幸せになるためにはそれなりの苦労とリスクがあるということだ。幸せになることは大変だし、子供を何人も産んで育てている女性は本当にすごいなと思う