隣にいるやつは自分の鏡


仙台キャバクラ派遣のアシストの文章を書く仕事、あと残り11個。今日、とあるアプリで人の夢がたくさん書いてあるアプリを取った。見てみると、夢や願いごと、色々なことが書いてあった。小さなことから大きなことまで、本当に様々だ。「消しゴムサイズの和室を完成させたい」という気になる投稿があった。それは、たぶん趣味の一つでミニチュアな世界を作っているようで、わかりやすくいうとシルバニアファミリーのようなサイズの小さな和室を作りたいとのことだ。紙や素材にも色々とこだわって、全て1から作っているようで、小さいからと言って安く作れるわけでもないらしい。意外と少量の材料でも2000円?するらしい。なかなかびっくりだ。最終的には作品のお披露目会をしたいらしい。素敵な夢だと思う。中にはとてもくだらないことが書いてあったりもする。「焼肉が食べたい」「家に引きこもってパソコンをしていたいからパソコンが欲しい」など。基本はみんな真面目なことが書いてあるが、中には笑ってしまうような内容もある。その人の夢を応援したいと思えば、その人を支援することもできる。世の中には、お金をたくさん持っていて、夢がある若者を支援してあげたいという人もいる。不思議なことに結構多くいる。もしかしたらこのアプリが日本だけではなく、世界中でやったら、かなり貧困の人たちにも夢が与えられるし、お金を持っている人持っていない人関係なく、本当に優秀な人が見つかるし、もっともっと世界が発展する気がする。お金がなくて学校に行けなかった、お金がなくてやりたいことができなかった、という話はよく聞く話だ。お金というのは一つの才能のように、なければやりたいことが叶えられない。わたしの周りには、特別家がお金持ちだった子や、特別貧乏だった子もいなかったと思う。驚くようなお金持ちエピソードや、驚くような貧乏エピソードは周りでは聞いたことがない。強いて言えば、わたしのお父さんの実家は貧乏だった。少しオシャレなご飯を作るとよく言われることがある。「こんなの昔は食べられなかったなあ」という言葉だ。お父さんはお父さんなりに、小さい頃から苦労して生きてきたんだと思う。うちのお母さんは特に貧乏だったわけではなく、普通の家庭だったみたいだ。でも、大学に行きたいと言ったら、おじいちゃんに「女は学校なんか行かなくたっていいんだ!!!」と怒られて、反対されたらしく、大学に行けなかったらしい。そういう時代だったのだろう。今の時代は、学歴があったほうがいい時代だ。子供が大学に行きたがれば、止める親はほとんどいないだろう。わたしは勉強が大嫌いだったから、大学に行くという選択肢はまったく頭になかった。むしろ大学に行きたがる同級生たちの気持ちがわからなかった。みんな「遊んでいたいから大学に行く」という感じだったけれど、自由な時間が多くてそれなりに遊べたとしてもやっぱり勉強はしないといけないし、それがわたしは嫌だった。でも、わたしは好きなことや興味のあることを勉強するのは大好きだ。全然苦ではない。だから、興味があって夢を叶えるために専門学校を選んだ。当時は。

最近思うことがある。「言葉」というものはとても皮肉なものだなと。時として「言葉」が、人の一生の傷やトラウマになることがある。あの時あの人にああ言われたこと、今でも忘れられないぐらいすごく傷ついた言葉だったなぁ、ということがみんなはないだろうか?わたしはわりとある。わたしは気にしいだし、まに受けやすいし、根に持つタイプなので結構そういうことがある。そして、人の一生の傷やトラウマにもなるけれど、人の心を癒すのも「言葉」であると思う。本当に皮肉なものだ。優しい人に、面倒見のいい人に、わたしは何度も「言葉」で救われ、癒されてきた。言われて嬉しい言葉はたくさんある。癒される言葉はたくさんある。中でもわたしは、「あなたに会えてよかった」「あなたに出会えてよかった」と言われたいし、そう言われる人間でありたい。「あなたに出会えてよかった」といわれれば、確実に運気が上がると思うし、出会えてよかったと思える人間とはそうそういるものじゃない。そうそう言う言葉でも、言われる言葉でもない貴重な言葉だ。そんな風に言われる生き方をしたい。最近、こんな言葉を見た。「隣にいるやつは自分の鏡だと思え。付き合う人間は選べ。」という、かなり心に刺さる言葉だ。そして妙に納得できる言葉だ。今日観たドラマの深夜食堂にでてくるヤクザのりゅうちゃんも似たようなことをドラマ内で言っていた。「甲子園に行きたいなら友達付き合いは選べ」というようなことを言っていた。わたしは今、考えてみたら周りに本当に素敵な人しかいない。仲の良い人はみんな一生懸命頑張っていて、尊敬できる人ばかりだ。少し昔までわたしが仲よかった友達は、なかなかにルーズで自由で頑張っていない人間だった。当時のわたしはなかなか仕事を頑張っていたから、スレ違いも起きて不仲になり、今ではどこでなにをしているか全くわからない。もしかしたら、彼女はわたしの鏡にはならなかったし、彼女の鏡にもわたしはならなかったから、離れていったのかもしれない。そう考えると、友達を失ったり人間関係が減っても、あんまり落ち込まないでいられる。むしろこの言葉を見つけたとき、嫌な人と仲良くするのは本当に無駄なことだなと思った。自分の価値まで下がる可能性がある。人付き合いは、これからはしっかり選んで行こうと思う。もしどうしてもダメ人間な友達ができたら、ダメだと言いしっかり更生させようと思う。そこで更生できなかっなら、もうそこまでの人間だと諦めて離れればいいし、ちゃんと更生してくれる人だったら仲良くしていけばいいと考えた。自分の成長には絶対に横にいるのがどんな人かで変わると思うし。だからなおさら、自分の周りは尊敬できる人たちで固めていたら、自分もたくさん成長できると思う。まさにいまのわたしは、すごく成長させてもらえるような人間ばかり周りにいる。会社は社長の色に染まると前にネットで見たけれど、会社以前に、人は周りにいる人間の色に染まる。とてもわかりやすくていい例は、田舎から東京に引っ越すと周りの人が変わる。だから人も東京に染まり、周りの人の色に染まり、変わる。